応援している役者さんが初めて帝劇に立った話

ミュージカル『エリザベート』にルドルフ役で木村達成さんが出演したので観に行きました。

 

6/8夜 花總・古川・平方・木村・香寿・山崎

6/23昼 花總・井上・平方・木村・剣幸・山崎

7/1昼 花總・井上・田代・木村・剣幸・成河

7/13夜 花總・古川・平方・木村・剣幸・成河

7/15夜 花總・井上・平方・木村・香寿・成河

8/12昼 愛希・井上・平方・木村・剣幸・成河

8/12夜 花總・古川・田代・木村・剣幸・山崎

8/14昼 愛希・古川・平方・木村・涼風・山崎

8/16夜 愛希・古川・田代・木村・剣幸・成河

8/19昼 愛希・井上・田代・木村・涼風・山崎

8/25昼 愛希・古川・平方・木村・剣幸・成河

8/25夜 花總・井上・田代・木村・剣幸・山崎

応援している方に世界を広げてもらっているタイプのオタクなので、エリザベートは2019年版が初観劇です。更に言うと帝国劇場に足を踏み入れたのも初めてです。

私の中で帝国劇場って特別な劇場です。ミュージカルの最高峰、ミュージカル俳優の到達点でもあると思っていました。(その考えもたつなりくんのルドルフを見ていたら覆されることになりますが...)

今までも帝劇で上演されていた演目で観たいタイトルはあったものの、最初に帝劇に連れて行ってくれる役者さんはたつなりくんがいい...という(若干引かれそうな...)理由で、いつかないつかな!と心待ちにしていたのですが、想像を超えるスピードで連れて行ってくれました!

 

私がたつなりくんが帝劇に立つことを意識し始めたのはラカージュに出演したときです。それも出演が発表された日じゃなくて、ジャン・ミッシェルとして♪今までは〜パパ〜って歌い始めたとき!

 

たつなりくんが舞台上で役として歌う姿ってテニミュでしか知らなくて、第一声を聴いたときの「えっ??あなた誰?!?!」感は半端なかった。すごくすごく頑張ってここまで仕上げてきたんだなあって思って、普通に感動して涙が出た。この日はエリザ初日よりもドキドキしてたと思う。

そしてラカージュで初めてグランドミュージカルに出たことで、今まで以上にたくさんの方の目に触れて私たちファンも色んな感想に出会うことができたのがうれしかった!その節はありがとうございました!

 

私自身も劇場で素敵な出会いがありました。

 

グランドミュージカルに出演すると、ファンの間で「次はあの役が似合うんじゃないかしら??」っていう予想が飛び交うんですね!これもラカージュが初めての経験でした。私は日生劇場すごい!たつなりくんすごい!で満足していたところに、ちゃんとした界隈の方に認めてもらえたのがとてもうれしかったし、世界が広がっていくのを感じました!「ミュージカルに立つ木村達成」っていうビジョンが具体的になってきた時期でした。

 

とは言え、これからたつなりくんが出る可能性があるミュージカルってどんなものがあるんやろ??と興味を持ったものの、私が知っていたのは有名どころばかりだったので、朝の支度の時間とか、ちょっとした隙間時間に東宝ミュージカルのゲネの映像を見まくるようになりました。そこで特に気に入って見ていたのがミュージカル『ロミオ&ジュリエット』のゲネ映像です。現役バリバリで第一線を行っているテニミュの大先輩の古川さんは、テニミュ関連の他に青7の矢田ちゃん目的で購入していた生執事の円盤で拝見していたので、とにかくすごい方!という印象でした。“世界の王”の間奏部分のダンスなんか「足なっが!!かっこよ!!」みたいな小学生並みの感想でリピート再生していましたね笑 このときは後にたつなりくんがベンヴォーリオ役で出演するとは露知らずに!そんな経緯でたつなりくんのロミジュリ出演は、私の夢を1つ叶えてくれました。

 

 

そしていよいよ始まったエリザベート。(前置き激長オタク)

 

 

 

たつなりくんの解釈には驚かされるばかりでした。以前、何かのイベントのときだっけかな?台本より厚い本を読んだことがないっていうのを聞いてまじかこの人!!確かに読まなそうだけど大丈夫なんか??!ってちょっと心配になった記憶があります笑

 

しかし実際のルドルフを見てみると、どうやったらこんな解釈思いつくんだ?っていう天才さにひれ伏すばかりでしたね!(オタクの贔屓目入ってます)

そもそもたつなりくんは役を落とし込むとか小難しいことは考えていないのかもしれないと思って。ルドルフに寄り添って、ルドルフとしての感情の動きを丁寧に丁寧に追っていき、自分の中にルドルフを生きさせる。

たつなりくんのお芝居を見ていると「小手先っていう言葉と無縁だなあ」って常々思うんですけど、今回もまさにそれでした。人間的で根本的な心の動きを追いながらルドルフとして生きたときに自然に出てきたものが、あの3か月間で私たちが目撃したルドルフだったのかもしれません。ルドルフとして生きていたからこそ、その時々で感情の機微は異なるし、表出される表現も異なる。毎回違うからこそ人として生きていることが如実になる。

余談ですが、ドラマ弱虫ペダルの番組『演劇人は、夜な夜な、下北の街で呑み明かす...』で今泉俊輔の役作りについて聞かれたたつなりくんが、「誰よりも自転車が上手い役だから誰よりも上手くなってやろうと思った」「最初に自転車に乗ったとき、みんな楽しくならなかったっすか??その気持ちって僕たちこれを演じる上で忘れちゃいけないことだったと思うんですよ。ただ同時に、あれを乗りこなしながら台詞を言うのって絶対的に難しいことだなあとも思って」「(確か馬場さんに言われてた)たつなりは器用だから誰よりも最初に乗りこなせるのよ!でもそこからたつなりは深めようとするじゃない!そんで結局誰よりも練習してたでしょ?そこが今泉とリンクするんだよね」っていう話も大好きで時々思い返しています。(ドラペダでは実際にロードバイクに乗ってお芝居をしました)

このあたりはこちらのインタビューで出ている「心のルート」っていう言葉が個人的にしっくりきました。

「自分の芝居に対して正直であることです。芝居というのはそもそもが嘘。でも、その嘘が少なくなるほど、お客さんにリアルに感じてもらえると思う。だから、この役はこういう気持ちになったからこう動くし話すんだという、心の流れに違和感のある芝居は絶対にやりたくない。その心のルートを探すのがすごく楽しいし、そうしなきゃ僕が演じる意味はないとすら思うんです」

 

 

話は変わって、今回のエリザベートを通して思った大きなことがあります。それは「たつなりくんのお芝居は舞台上にいないときからもう始まっている」ということです。

具体的に言うと子ルドのお芝居を汲んで青年ルドルフのお芝居を作っている。青年ルドルフの出番って20分弱しかないんですよね。その20分弱にルドルフはどういう人物なのか、何を思って革命に走り、若くしてあっけなく死んでいったのかっていうのを込めなくてはならない。自分のルドルフ像を伝える役者の腕の見せ所だと思います。

たつなりくんはその日の子ルドくんのお芝居をよく見て、その仕草だったり表情だったりをキャッチしていました。ぎゅっと自分の体を抱きしめたり、服の裾を心許なげにきゅっと握って泣きそうな顔で歌ったり...この子が大きくなったらこういう青年に育つんだろうなあということにすごく説得力があった。

 

特にオタクがみんな大好きな“僕はママの鏡だから”。♪ママの帰り ずっと待ちわびてた から始まり、ママに切々と呼びかける様子は立ち居姿も表情もとっても幼くて、「ママに相手にされなかったかわいそうな息子ルドルフ」なんだけど、「打ち明けるよ」から明らかにルドルフの目が違う。革命の意志が沸々と宿っている「帝国と世界を憂う皇太子ルドルフ」になるの、超超超絶お見事じゃないですか?!えっ大好き。

たつなりくんが演じるのは青年になるまでに数十年間ハプスブルク家で生きてきたルドルフなんですよね。そこで幼い頃から皇帝としての教育を施され、ママに相手にされず寂しい日々を送り、勉強したら世界が見えてきて、ハプスブルク家の危機に気づき、このままではいけないと立ち上がったら父親に目をつけられ...そんな彼の人生が見える20分。目に見える情報から目に見える以上のことが伝わる20分。たつなりくんはルドルフを生ききったなと思います。

 

たつなりくんのルドルフについて、多くの方が「革命成功させそう」とおっしゃっているのを見て納得!!!ってなっていました。

たつなりくんルドルフの真っ直ぐさ、実直さがルドルフの強さというか光属性を際立たせていますね。光が強ければ強いほど闇が濃くなる。

“闇が広がる”の♪王座ーーー!!からの彼の表情を見ると、絶対に革命を成功させる強い意志を感じます。そこから“独立運動”で銃声の音が聞こえて周りが白黒になったところから迷子みたいな表情になる。そして父親に「血を分けた息子に裏切られる日が来ようとは」と蟄居を命じられたことでいよいよルドルフは追い詰められてしまう。

ルドルフは“僕はママの鏡だから”という歌を歌うものの、たつなりくんのルドルフを大きく動かしたのは父親だろうなと思います。たつなりくんのルドルフって本当に帝国と世界を憂いていたんだろうなって感じさせるんですよね。自分の力でなんとかして救おうと赤新聞に投書するし、勉強もたくさんしてきた。それが父親に「裏切り」の一言で片付けられてしまった。自分の知識や考えが、今政治を握っている父親の力になれるかも...という思いもあっただろうに。

 

たつなりくん自身も雑誌『ミュージカル』のインタビューで話していましたが、たつなりくんのお芝居プランすごいなあ。やりたいことがちゃんと伝わってくる。

お芝居が鮮やか。コントラストが効いている。強弱が付いている。大胆でいて繊細。

 

 

 

最初の話に戻るけど、この3か月間エリザベートを観てきて、帝劇がミュージカル俳優の到達点っていうのは違うんだということがわかりました。たつなりくんが帝劇というステップに足を掛けた今、到達点にきたというよりは「この先もこのステージに立っていてほしい」という思いが強くなった。年齢に応じて役が用意されている中で、実力と経験を重ねて、この世界で勝ち残っていってほしい。末永く活躍していてほしい。そんな未来が見てみたいと、おもーーーいおもーーーーーいオタクは思いました。

たつなりくんこの世界を選んでくれてありがとう。芸事と無縁の子供時代を過ごしてきただろうに、この世界で勝負し続けてくれてありがとう。

「昨日よりは今日 今日よりは明日 明日よりは未来 そこが行き着く場所さ」でTOPを目指してほしいというのがいちオタクの願いです。

エリザベート本当にお疲れ様でした。

 

ベンヴォーリオは慈愛

 ロミオ&ジュリエット2019の東京公演が終わりました。

 

 2019年版に応援している俳優さんが出演されることが決定し、今年初めてロミジュリを観劇しました。最高だった…!3時間があっという間で楽しかった!何度でも観たいと思える舞台に出演してくれてファン冥利に尽きます。まだ刈谷公演と大阪公演が残っていますが、一区切りついたのでまとめておきます。

 

2月24日 大野・木下・木村・黒羽・廣瀬・大貫

3月2日   古川・葵・木村・平間・渡辺・大貫

3月3日   古川・生田・木村・黒羽・渡辺・大貫

3月10日 大野・葵・木村・黒羽・廣瀬・大貫

 

 

ベンヴォーリオとマーキューシオ

マーキューシオ

 マーキューシオって大公の甥っ子なんですね。いい家柄の血を引いているものの、血の気が多くてクレイジー。いとこ同士のロミオとベンヴォーリオとは親友でも、どこか一線を画していて、モンタギュー一族の2人と自分との間に破れない壁のようなものを感じました。彼の最期のセリフに「俺は恨む お前の家を!モンタギューとキャピュレット」という印象的な言葉がありますが、親友だったモンタギュー家の二人に、笑顔で、その言葉を吐くのがつらくて。どちらの家にも混ざれない。「もうおしまいだ!」と言い放って先陣切ってティボルトに戦いを挑むものの、闘いの最中の表情は苦痛で歪んでいて、葛藤している。それは自分でもなぜ憎しみ合わなくてはならないのか、自分が何のために戦っているのかが分からないゆえの葛藤なのではないかと思います。

 今まで諍いを繰り返してきたキャピュレット家との決着をつけることが決闘の名目上の理由なのでしょう。しかし、そもそもマーキューシオが決闘する引き金になったのは、ロミオが敵方キャピュレット家のジュリエットと愛し合ったことで、ヴェローナに生きる彼が持っていた「キャピュレットは憎むべき存在で、戦うことは宿命」「ティボルトからされてきたことへの報復をする」という彼のよりどころが崩されたことではないでしょうか。(実際「決闘」の歌詞を聞くと、マーキューシオはティボルトにかなりひどいことを言われてきたようですから)

 

 さらに、彼がよりどころにしてきた「キャピュレットと戦うことは宿命」ということについて。ティボルトへの恨みはあったものの、家柄同士の争いなんかはマーキューシオにとって割とどうでもいいことで。実は何者にもなれない自分の、行き場のない憤りを紛らわすためのものだったのかなと思います。それをあっさりとロミオに崩された。モンタギューの象徴であったロミオに。しまいには、「誰もが自由に生きる権利がある」と訴えられる。

 

ベンヴォーリオ

 この「誰もが自由に生きる権利がある」という言葉について。この歌詞のパートは、ロミオとベンヴォーリオのハモリ=2人それぞれの訴えなんですよね。「長年続いてきた両家の争いから解き放たれて、平和な世の中を作るんだ」「誰と愛し合ってもいいんだ」と訴えるのがロミオならば、ベンヴォーリオが訴えたかったことって何でしょうか。

 ここでたつなりくんがアフタートークで話したことを思い出すのですが、演出の小池先生いわく、ベンヴォーリオはロミオではなくマーキューシオ側、マーキューシオに寄り添う人物なんですよね。

 

 たぶんベンヴォーリオはマーキューシオがモンタギューに染まりきれていないと感じていることに、そしてそのことでマーキューシオが葛藤していることに気付いているんだと思います。1番そばで彼を見てきたから。「家柄にとらわれる必要はない」「誰かを愛する心は縛られない」ことがロミオの言う「誰もが自由に生きる権利」だとするならば、ベンヴォーリオが歌う「誰もが自由に生きる権利」はマーキューシオのこれまでの生き方の肯定ともとれるのかもしれない。宙ぶらりんゆえにままならなくてどうしようもないという気持ちを闘いにぶつけるしかできなかったマーキューシオ。そんな彼の生き方が正しかったのか否かの是非はここではひとまず置いておいて、きっとベンヴォーリオはマーキューシオの生き様を否定できないと思う。彼の生き方をまるっとひっくるめて「マーキューシオ」なんだと肯定しているんじゃないかな。

 私はたつなりくんがベンヴォーリオの回しか見ていないので、偏った解釈になっているかと思いますがご了承ください。ただ、たつなりくんのベンヴォーリオが本当に優しい人だったことは確かです。倒れたマーキューシオを抱きしめるベンヴォーリオの腕の優しかったこと!私のなかのベンヴォーリオ像は「慈愛」です。

 

狂気~服毒

 そしてこの場面とのちの「狂気~服毒」「どうやって伝えよう」ではベンヴォーリオの考え方は変化していますよね。マーキューシオの葛藤に気がついて気がかりに思うことはあっても、両家の争いがどうだとか、自分はどうしたいとか、そういったものは以前のベンヴォーリオにはそもそもなかったんじゃないかな。

  たつなりくんのベンヴォーリオを見ていると、まだ大人になりきれていない子供なんだなという印象を受けました。何も考えずに世の中の流れに流されているような。周りの大人たちが争っているから俺たちも争うんだ、みたいな。人はそもそもわからないことに疑問を持つことはないですから。「これでいいのかな」と疑問に思う以前に、「これが俺の生きる世界だ」と、それ以上でもそれ以下でもなかったんじゃないかな。

 

 そんな彼が初めて自分で決断して実行に移した行動が、ロミオにジュリエットが亡くなったと伝えること。「どうやって伝えよう」のたつなりくんが最っっっ高なのはTwitterで散々言っているのでここでは割愛します。最高の「どうやって伝えよう」を歌いあげた後の「ジュリエットは…亡くなったよ……?」の言い方がこれまた最高ですよね?なんて優しいの?声が上目遣い(声が上目遣い)。たぶんベンヴォーリオが出せる1番の優しい声で伝えたんでしょう。ロミオにとって1番酷なことを。

 

 

どうやって伝えよう

昨日までの俺たちは 世界治める王だった

今日の俺たちは 誰一人生き返らせることはできない

誰一人 ジュリエットさえ

(誰一人 マーキューシオさえ)

 

 この「ジュリエットさえ」「マーキューシオさえ」っていうのが悲しい。「さえ」ってとるに足らないものに使う助詞だけど、ベンヴォーリオはわざと「さえ」っていうことで自分の悲しみを紛らわせているんじゃないかな。自分とそんなに関わりがなかったジュリエットはともかく、マーキューシオが「さえ」で事足りるはずがないじゃない!自分は平気だと自分に言い聞かせたいように聞こえる。

 

 それから「世界の王」と対になっているのがまた辛い。「世界の王」で「年寄りが寝てる間に」とか「大人の力に負けたりしない」って言ってる時点で、この世界で力を持っているのは大人だって無意識に分かっているということですから…皮肉なことに。マーキューシオの死によって自分たちの無力さを実感したんですね。

 

 そしてここのたつなりくんが最高だっていうことはTwitterで散々言っているので割愛します。(再び)最高です。たつなりくんありがとう。「昨日よりは今日 今日よりは明日 明日よりは未来 そこが行き着く場所さ(日に日によくなっていることの意)」最高を更新しているよ。

 

 

ジュリエットの死

 劇中を通して、「死」の存在にぞくっとすることが何度もありました。初日観劇前に前作のゲネプロや歌唱披露の映像を何度も何度も見ていて、有名な「エメ」は歌えるぐらい聴いていました。そして迎えた初日。1幕終わりの結婚式の場面で、「ここでエメくるな??」ぐらいの気持ちでわくわくしていましたが…。幸せそうに愛の歌を歌うロミオとジュリエットをじっと見ていて、ふとステージ全体を見たとき。上から「死」が見下ろしているじゃないですか!怖い!まさかここで「死」が忍び寄っているとは!こういう演出ぞくっとしますね。好き。

 そしてもう1つぞくっとした場面が、「ジュリエットの死」です。ロミオが死んでいるとまだ気づいていないジュリエットが夢見るように歌う曲ですが、「ロミオ ロミオ」と繰り返すきれいな旋律にバスドラムの音が入るのが…!忍び寄ってますね!!しかも小節の頭じゃなくて気持ち悪いタイミングと気持ち悪い間で入るズドンとしたバスドラが大好物です。

 

 

罪びと~エメ

 悲劇の物語の最後に流れるのはエメ。愛で包まれた世界で終わるのが優しさ。両家のお母さんたちのデュエットの後に、残された人たちで歌いあげる「ロミオとジュリエット」って響きが優しくてたまらない。この物語のテーマを朗々と歌い上げている。これは悲劇を超えた次の世代につながる愛の物語なんだということを意味づけていると思いました。ロミオとジュリエットの死が、一つの争いの時代の終止符であり、悲劇は終焉を迎える。

 ベンヴォーリオの「今、許しあおう」が本当に最高!!しかもたつなりくんぼろぼろ泣いてるからもうたまらないですよね。ベンヴォーリオがモンタギューとキャピュレットの両家のものの手を取り合って結びつけている。ヴェローナの未来を築いていくのはベンヴォーリオ。私は「ベンヴォーリオは生き残る」に一票です。

 

 

 まだまだまとめきれていないので大阪の大千秋楽が終わったらまた書きたいと思います。ロミオとジュリエットのこともあまり触れられなかったし、好きな曲はたくさんあります。取り上げたいところが多すぎる。

 次は刈谷ヴェローナのアフト回に行くので、どんなお話が聞けるのか楽しみにしています!