ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』の音楽について
韓国ミュージカル初心者のため、韓国ミュージカル全般に言えることなのかJTRだけに言えることなのか定かではないが、JTRの楽曲は登場人物の心境によって1つの曲の中で様々に曲調が変化するのが印象的だった。
曲のダイナミックさだけで物語の爆発力を再現できるように劇的だ。
キャストの皆さんの素晴らしい歌についていくらでも語りたいところだが、今回は舞台全体を通しての音楽のつくりについて書きたい。
曲のバイアスと登場人物の隠された顔
「このキャラクターといえばこの曲!」のようなテーマ曲があることが効果的に使われていた。特に最後のサービスナンバーはアンサンブルさんも含めてみんなの「おいしいところどり」で最後の最後まであんこがぎっしり詰まっていておいしい。
白井さんの演出で巧妙な手口(犯罪?)はあげたらキリがないが、日本初演をするにあたり、事前にレコーディング映像公開と歌唱披露会がありメディア露出が多かったこの作品。ある程度の客が「このキャラクターはこの曲が代表曲なんだな」というバイアスを植え付けられた上で観劇するのがすでに白井さんの術中だったと思い至ったのは9/20マチネのこと。
- ダニエルとグロリアといえば“もしかしたら”
- アンダーソンといえば“灰色の都市”
- モンローといえば“特ダネ”
- ポリーといえば“捨てられたこの街に”
- ジャックといえば“狩りに出かけよう”
のように、歌を聞くだけで登場人物が思い浮かぶ。しかしこのバイアスを逆手に使って、「隠された人の裏の顔」を演出しているのかもしれない。
余談だが、曲のタイトルに登場する「まち」は2つの表記がある。
「街」表記がポリーの“捨てられたこの街に”とアンダーソンの“俺はこの街が嫌いだ”。
「都市」表記がアンダーソンの“灰色の都市”。
「街」の方が「都市」より狭いので、「都市」はロンドン、「街」はホワイトチャペル区のことだろう。つまり娼婦たちが暮らすまちである。アンダーソンの“俺はこの街が嫌いだ”は元恋人のポリーとの「オーケイ」「なんでもよ」のやりとりが入る。アンダーソンの言う「街」はここでしか食っていけないポリーの住むまちのことで、ポリーに「こんなところ早く出ろ」と諭すも「こんな私がこの街以外でどうやって暮らせばいいと言うの?」と返され、歯痒い思いを抱きながらどうすることができない自分のことを歌う「俺はこの街が嫌い」なんだろう。
話を戻そう。
テーマ曲を別の人物が歌っている場面を見ていく。
ジャックの“狩りに出かけよう”について。
ポリーを殺したダニエルが研究室に帰ってきて、両手が血まみれで歌う、入れ替わりソングこと“俺がジャックだ”。この曲の冒頭はジャックの“狩りに出かけよう”なのだ。
同様に、ジャックの“狩りに出かけよう”を別の人物が歌うのがもう1か所ある。“カオス”でモンローが研究室に入ってきて警官を殺す場面で、“狩りに出かけよう”のメロディを歌っているのである。
「ジャック」は誰の心にも住んでいる、誰しもがジャックな部分を持っているというのがよく現れている。人間の狂気性が現れたときにこのメロディを歌っているとわかる。
グロリア
次に、“グロリア”のメロディ。これはグロリアの家が燃やされて絶望するダニエルが歌う。9/20ソワレのたつなりくんダニエルは嗚咽が混じって悲壮感が増し増しだったが、♪グロリア グロリア グロリアと何回も名前を呼ぶダニエルは、燃えている家を前に何もできない。街の人からは「行けばお前も死んでしまう」と止められる。
この“グロリア”のメロディはこれ以前にも登場している。
ダニエルとグロリアが出会う馬車の事故現場だ。
メスを取り出し施術するダニエルのバックでこのメロディが流れている。しかも、神に祈りを捧げるような神聖なアレンジで流れる。街の人々が見たことのない技術で女性を救うダニエルはまるで聖人のように見えただろう。
この2つの場面で対になっているのがダニエルが「救えたか」「救えなかったか」。
ダニエルはロンドンに初めて来たときから、医学を、臓器移植の可能性を信じ続けている。
新鮮な内臓を手に入れればどんな病気でも治せる。例え法律で禁止されていても。
医学で人を救うことで神聖なことと価値づける演出をしているために、いざ燃えるグロリアを前に何もできないダニエルの無力さを際立たせている。
そしてダニエルを殺人へと駆り立てる。
“もしかしたら”のリプライズ
“カオス”の終盤、ダニエルに銃を向けたグロリアが歌う。2人が出会ったときの“もしかしたら”とはパートが交換になっている。♪もしかしたらいつか2人傷つけ合うかもは現実になってしまった。
ここで注目したいのがカオスな状況の後ろにいるジャックだ。
ポリーを殺されたアンダーソンが殴り込んできたとき、手術台の上にいるジャックはダニエルと同じ動きで殴られる。
次に警官を殺しながらモンローが乗り込んでくる。このときモンローはジャックの“狩りに出かけよう”のメロディを歌っているが、ここでジャックはモンローの動きとシンクロしている。
そしてジャックは隙を見てダニエルに杖を渡し、アンダーソンを殴るのを手助けする。
時にダニエルとして、時にモンローとして、ジャックは人間の“ジャック”な部分の概念としてこの場面に存在する。
ところが、そこに突如銃を持ったグロリアが乱入してくる。もちろん驚くダニエルだが、ジャックもこの事態を予測していなかった表情をする。そして静かに後ろを向き影を潜める。そしてグロリアが自身に銃口を向けたとき、赤い花を散らす。グロリアの死と共に役目を終えたかのようにジャックは消えていく。
皮肉なことに、グロリアはダニエルを“ジャック(=罪)”にした人物であると同時に、ダニエルを“ダニエル(=良心)”に戻せる唯一の人物だったのである。
“灰色の都市”のメロディ
何度も繰り返されるこのメロディ。
導入部が終わってテンポを刻み始めると、旋律は細かく動いていく。
上ったかと思ったら下って、下ったと思ったら上る。やっと上ったかと思えば半音下がる。なかなか前に進めない。
まるでブラームスの交響曲第1番のように上昇と下降を繰り返す。
これを大きなメロディとして見ると全体は下降している。
この旋律の動きがアンダーソンの状況とリンクしているようだ。前進したいが手がかりが掴めない迷宮に迷い込んだようなメロディは、アンダーソンのもどかしさと焦燥感を感じさせる。
ここまで書いてきたが、この作品に隠されたトリックのようなものはまだまだあるのだと思う。あらかじめ仕組まれたものもあれば、役者のその日の芝居で読み取り方はいくらでも生まれるだろう。
残り少なくなった公演も目と耳と頭をフル回転で楽しみたい。